自己の境界線はどこか? 「粒採り枝豆」
日経新聞などを有難がって読んでる方もいるんでしょうが、金が全てで組み上げられた理屈は人の生きる道に反するんじゃないかと思います。
TPPありき、農業も効率性や経済性重視で・・・
といった洗脳記事が毎日のような信者に向けて発信されています。
農業とは「生命を継続できる可能性」であり、食料を経済性や量としてとらえるのでなく、命の連鎖の一環としてとらえるべきです。
経済性や効率性ではなく重要なのは多様性です。
未来を生き抜くための可能性は選択肢が多いほうが有利なのです。
まず「命と金を同等のレベル取り扱うことを禁ずる」ことを憲法に謳うべきでしょう。
今の日本にはそんな当たり前の感覚すら薄らいでいるようです。
ひとつの問いとして「自己の境界線はどこか?」と聞かれたらどうでしょうか?
私達は息をしたり水を飲んだり食事をしたりすることで生かされていますが、ならばその全てが私達そのものではないかという話です。
そう考えると私達とそれを取り巻く環境との関係が全て明快に理解できるんじゃないかと思います。経済性や合理性ではなく、農業とは生命循環活動そのものだと言えます。
アベちゃんには理解できない話でしょうが・・・
写真は粒採り枝豆です。
今年は生育がイマイチで、株単位で一気に収穫できるほど粒が揃いませんでした。
面倒ですが実がしっかり出来たものを選んで収穫しています。
でもこうすると一気に収穫しないので一株で数回楽しめます。
さらに完熟なので味や香りが最高です。 旨い!
いつくかは来年のためにタネとして残します。
今の農業はタネ(命)を継承しなくなったのが最大の問題だと思います。
「サカタのタネ」じゃダメなんです。
その土地にあった、そこにしかない命を継承してこそプロ農業と言えます。
そのDNAの多様性が未来への可能性に繋がります。
「さるかに合戦」は子供達によい教育をしてきたと思います。
今は読まれないのか?・・・
タネを育てましょう。