高野山の町石道をハイキング

高野山の町石道を歩いてきました。
数年前、NHKのブラタモリで紹介されたこともあるので、ご存知の方もあるかと思います。

高野山の町石道は、麓の慈尊院から高野山の壇上伽藍まで180町石の石碑が立てられた街道になっています。1町は約110メートルになるので約20kmの距離になります。


高低差800mと結構ハードでしたが、山道はよく整備されていて気持ちよかったです。
所々、紅葉もまだ残っていて綺麗でした。


高野山は空海が開いた仏教都市ですが、世界遺産にも指定されているので海外から旅行客も多く、特にヨーロッパの方が多いようで中でもフランス人が多いように思います。中国人や韓国人はあまり見かけません。本当のスピリチュアルを求める人には京都より高野山のほうが人気があるようです。

普通の山登りと違って歴史街道を歩くのは歴史的な背景があって面白みがあります。
まずはさっと高野山の歴史を勉強してから登るとよりいっそう楽しめるかと思います。
以下は私の勝手な解釈なので鵜呑みにしないように!


高野山を開設したのは空海ですが、空海は774年、奈良時代に生まれて平安時代に生きた人で、ざっと1200年前のお話になります。

出身は和歌山ではなく四国の香川の生まれで、父親は地域の郡司で母も阿刀氏の娘ということでエエトコのお坊ちゃんとして生まれています。一般庶民とは血統が違うサラブレッドとして育てられ、14歳で阿刀ジジのコネもあって京の大学に進学しています。

この大学は今でいうと東大のようなもので、ここでエリート官僚になるための教育を受けますが、思春期の血気盛んな頃です、山岳を渡り歩くバックパッカーのような生活に憧れて段々と山岳宗教にのめり込んで行きます。この頃、京都や奈良、和歌山の山岳を渡り歩いて高野の地域にも訪れていたようです。

60年代に流行ったヒッピーがインドの宗教や哲学に触発されるように、空海もすっかり仏教に洗脳されてしまったようです。怒ったのは父親です。苦労して大学に行かせて将来はエリート官僚にさせてお家は安泰と思っていたのですからね。勘当状態になった空海は出家してお坊さんになりました。

元々、庶民とは違うサラブレットですから頭は良かったようで、仏門で一気に開花します。当時の庶民はほとんど読み書きも知らない農民でしたから差があって当然でしょうね。

空海という名前は四国の室戸岬の端っこで、岩の隙間にこもって修行していた時に見える風景が海と空だけだったので、ハンドルネームを空海と決めたようです。
私も週末はよく海に出かけていますが、海を眺めていたら海の水平線と空しか見えませんからね。浜の宮空海って名前にしようかな?w

その後、遣唐使の船に便乗して中国に留学するチャンスを得たのですが、4隻に分乗して渡航する途中、嵐にあって4隻のうち2隻が沈没するアクシデントもあったものの、何とか中国に辿り着き長安のお寺で修行をすることになったようです。

日本でベースを勉強していたこともあって成績は優秀だったようで、20年契約だった修行を1年でマスターして帰国することになったようです。 まぁー真実は不明ですが・・・

ラッキーなことに遣唐使の帰り便に便乗して日本に帰れることになったのですが、その船も途中で嵐にあって一旦は五島列島に漂着しますが、その後都まで帰り中国からの持ち帰った経典や曼荼羅絵巻などを朝廷に提出したようです。

そもそも20年契約で中国に渡っのに2年ほどで帰って来たものですから一旦は放置プレー状態にされたようですが、当時の嵯峨天皇が密教をえらく気に入ってこともあって許しを得たようです。

その後、嵯峨天皇の許しを得て高野山に寺を開いたのが壇上伽藍になります。
空海が43歳の時でした。 まだ若いよね。

空海が建てた寺をひと目見たいと母親が和歌山に来たのですが、当時の高野山は女人禁制でしたし、高齢のため麓の慈尊院に滞在して息子を見守ったようです。

その母親に会いに空海が月に9回も歩いて通った道が今回の町石道になります。
その逸話をもとに「九度山」という地名が付きました。

まぁー普通50歳程にもなって、月に9回も母親に会いに行かないですよね。
おそらく空海はマザコンだったんじゃないのかな?と思うわけです。

この道を実際に歩いてみると約6時間程度かかりました。
おそらく一日で往復するにはトレランじゃなければ無理だと思います。
トレランなら8時間程度で往復できるかと思います。(私はムリ)

でもトレランのようにタッチして帰るわけではないので、つもる話もあればスキンシップもしたことでしょうから、おそらく慈尊院に1泊はしたはずです。そうすると往復に2日はかかるわけですから、空海は高野山と慈尊院の半々くらいで暮らしていたことになります。

慈尊院は女人高野と呼ばれ、今でも安産の祈願に訪れる方が多いようです。
ここはオッパイの特大絵馬が有名なんです。 ・・・やっぱりマザコンやろ!


ちなみに、町石は鎌倉時代に立てられたもので空海の時代にはありませんでした!
歴史文化というものはそれぞれの時代に色々な解釈がされて話が作られてきたものですから、何が真実か?は今になっては誰にもわかりません。あくまでも歴史ロマンとして解釈するのがいいんじゃないかな?と思います。

高野山は真言宗で、我が家は浄土真宗なので関係ないんですが、そもそも宗教心はほとんどないのでどっちゃでもいいのです。


前置きがかなり長くなりましたが、慈尊院からスタートです。


スタートしてすぐの階段の横に180町石があります。


このコースはスタートすると一気に登りなっていて500mくらい登ります。
途中は地域特産の柿畑が広がっていて、天気が良ければ絶景が見れますが、あいにく濃い霧で真っ白でした。



途中の六本杉までは登りが続き600mまで上がります。
そこからはダラダラ下って矢立茶屋で国道と合流します。



途中、紀伊高原ゴルフ場の隣を通りますが、どうもこの辺の町石の間隔がバラバラで近代的な人工コースになっているので、おそらくゴルフ場建設に伴って本来の町石道は変更されているんじゃないかな?と思います。


矢立茶屋では定番の焼き餅をいたたきました。 お茶は無料!
疲れている時は甘いものが美味しいものです。 焼き餅は絶品です!


このお店は絶好の立地場所に建てられています。
おそらく町石道がある限り倒産することはないでしょうね。


お茶した後、お店の横から町石道に入っていくのですが、ここから一気に登りになっているので休憩の後だけに辛いです。途中の袈裟掛石や押上石は軽る~くスルーして林道を歩いていくと再び国道とクロスしています。


ここからラストコースになるのですが、少し進むとまた国道の脇に出ます。
途中、結構な上り下りがあったのですが、これだったら国道を歩いたほうが楽ちんじゃんと思いました。


最終は下り坂が続いてどんどん下っていって大門の真下辺りで一気に登りになっています。普通に移動だけを考えるとあり得ないコース設定になっていますが、このほうが有り難みがあるのか?憎い演出になっています。

最後の最後に筋肉崩壊!間違いなしです。w


大門は7町石なのでここから最終ゴールの壇上伽藍までは後700mほどです。


到着!お疲れさまでした。
今は紅葉の季節でハイシーズン!観光客でいっぱいでした。


「三鈷の松」 みっけ!


帰りはケーブルカーと電車だったのですが、高野山駅までのバスに注意してください。
ハイシーズンは物凄い観光客でバスが超満員になります。バス停はあちこちにありますが、下手なところで待っていても絶対に乗れません!奥之院側のほうが本数が多いのでできるだけそちらから乗ることをオススメします。


朝8時に道の駅「柿の郷くどやま」を出発して14時過ぎに大門に到着しました。
ちょっと観光して電車で九度山駅まで帰ってきて道の駅の駐車場に着いたのは日も落ちた17時過ぎでした。 お疲れさまでした。m(_ _)m

最後に今回行動したGPSロガーです。


和歌山はほとんど手つかずの山ばかりです。
誰か第二の空海を目指しませんか?w

浜の宮空海より

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