「平和と発展」の矛盾


「平和と発展」という言葉、何も考えずに上っ面だけを聞くと実に耳当たりの良い言葉にも聞こえる。しかし「平和と発展」とはそもそも相反する言葉で現実には共存することはあり得ない矛盾した言葉である。

数学的なゲーム理論からもその矛盾は明白である。
同じフィールドに一定の群れを作る複数のグループが存在する場合、個が生存するためには一定のエリアが必要で、それをまとめたグループにも同じように一定の規模のエリアが必要となる。
そのグループの発展とは繁殖し物理的・精神的により多くの同種を増やすことを意味する。
時間的な経過により、やがてグルーブ間の距離は縮まり接触することになる。
この時、互いの種を融合させない限りグループ間の争いが起きる。
しかし融合には長い時間が必要で急速な発展は互いの攻撃的な破滅を意味する。

何よりそのテンポが重要となる。
血を混ぜるのは一瞬だが文化と価値観を融合するには数世代はかかる。
生物的な発展とは必ずこのようなアプローチを踏むが、我々人類も同様に実に原始的な生き物である。つまり「平和と発展」は短期間では同じ時間軸上には存在できない矛盾と言える。

竹島や尖閣諸島、南沙諸島の問題がこれである。
この問題、互い数百年間何もいないのが正解である。

言い換えれば平和とは現状維持がベースであって、決して未来的にも過度な侵略的発展をしないことが大前提になる。人の一生程度の時間で平和的なWin-Winの関係などあり得ない。唯一の平和的な解決方法は互いの融合である。種の融合以外に平和的発展はありえない。

しかし、生物学的にもそれは容易なことでない。
何故なら多様性こそ未来への唯一の生き残る手段としてDNAに擦り込まれているためだ。
おそらくそれは正しいプログラムであって、究極的には人類という種族を延命する唯一の手段とも言える。

つまり完全な融合は起きることはなく、より小さなコミュニティに細分化される可能性が高くなる。そうなるとさらにグループ間の諍いが多くなり、やがてそれが大きな紛争を誘発する可能性がある。地球いう小さな石ころの上にしがみ付くしかない大きくなり過ぎた人類の宿命である。

つい最近までは中国を踏み台に経済格差による益の搾取を行い日本はバブルを迎えたが、中国の経済成長にともない日本は衰退した。
今、その矛先はアフリカに向けられ、また同じ搾取に躍起になっている。
ODAなど経済支援といいつつも、合法的な奴隷化であって、格差による安い労働力や資源を食い物にしてまた同じことを行うつもりである。まるでイナゴのような思考ルーチンである。
近い将来、いずれまたその大国に追い越されることになることは間違いないだろう。

ほんの一時の繁栄と快楽を求める、この人類という生物は実に愚かで滑稽な姿をしている。もちろん人類以外の自然界においても熾烈な生存競争が行われているが、同種族間でここまで無様な争いをしている種は珍しい。

一握りの土くれの中には我々人類の何万倍もの微生物が生息している。
この先人類がいくら成長しても到底彼らに勝てることはない。
絶滅した白亜紀の恐竜達とダブって見えるのは幻ではないだろう。

そんな状況を表現したのがこのプログラムである。
プレイヤーではなくウオッチャーとしてただその姿を眺めるだけだが、繁栄と衰退についてダラダラと文書を書く代わりに、わかやすく数学的なプログラムして表現したものだ。
「やがて資源を食い尽くす前に互いにシェアし循環できる仕組みを作ることが寛容だろう」と気付いてくれることを期待する。
もちろん今の大人ではなく、次世代の子供達へのメッセージである。

MIT Scratch AP Life Game
https://scratch.mit.edu/projects/92644082/