ビックデータがオープンデータで図書館って必要なのか? 文化を考える。


文字文化は字の如く、人の文化と呼ばれるものの一つですが、
中にはそれを過剰評価してる方も多い気がします。

最近は食文化という言葉も流行りですが、
生きるための手段や行動を文化と呼ぶのなら、最も尊い文化の一つでしょう。
社会的な生活をする人が生きていく上でのルールや行動パターンの全てが文化です。

ところで、図書館って今の時代に必要なのでしょうか?
単に文書の所蔵ということであれば、紙文化より効率的で恒久的な媒体を選択する方法もあります。

うちの近所に図書館なんてありませんが、その施設を維持するための税金は納めています。
しかしその恩恵は全くありません。
わざわざ図書館に出かけなくても今時はインターネットで世界中の情報を掻き集められます。

世界中というのは語弊がありますが、短い人生の時間をすべて注ぎ込んでも閲覧できないほどの情報であふれているは確かです。
その情報は日々膨張をし続けており、まさに人類の情報史がリアルタイムに記録し続けられているわけです。

そんな中で一片の紙切れに書かれた情報がどれほどの価値があるのか、かなり微妙です。
ありのまま、そのままの映像や音声、観測テータなどの持つ本質的な情報のパワーには到底勝てないでしょう。

なぜ書籍という媒体にこだわるのかも疑問です。
その昔は情報は石板に刻み込まれていました。
それが紙が発明されて紙媒体に記録されるようになっただけです。

今時はその機能をはるかに上回る媒体がたくさんあります。
文化とは継承し転写続けるものであるなら、それをすべきでしょう。


図書館に所蔵されている書籍を今時の文書管理技術で焼き直せば、どこからでもいつでも直接アクセスできるようになります。
限られた書籍の数で貸し出し中なんてことは起こりません。
情報を探し出すのも容易で、瞬時に目的の情報にたどり着けるでしょう。

全国にある図書館というハードウェアをソフトウェアに置き換えれば、
何万分の1というコストで、何万倍もの付加価値が創造できると思います。

何故それをしないのか?
図書館という仕事がなくなるから?
いや、そうはならないと思います。

図書館司書という仕事があるようですが、それをより高度化した仕事は残ると思います。
様々な文化や情報活用のプロとして何をどう見せていくのか?
そのコンテンツ作りは芸術活動に近いものがあるかもしれません。

最近「ビックデータ」「オープンデータ」というキャッチコピーだけが先行して自治体などでもてはやされていますが、内容的にはビックデータとは程遠いものです。

情報とゴミは紙一重で、そのほとんどはゴミです。
その膨大なゴミデータの中からほんの一握りの金鉱脈を見つけるためのデータマイニングには、相当な知識と技術と運が必要で、一般の素人にはほぼ不可能です。

ゴミデータをゴミのままぶちまけられると混乱が起こるだけで、まさに絵に描いた餅でしょう。
そんなに甘いものではないということをます理解出来ているのか?
いつものお役所仕事が心配です。